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Archive.10:デボル & ポポル - 永久不滅の「罪悪感」の犠牲者

身に覚えのない「原罪」を背負わされ、迫害と贖罪の輪廻を生きる双子のアンドロイド。永久不滅の罪悪感の果てに、彼女たちが最期に選び取った実存の光とは。

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音声解説

序論:神亡き後の箱庭における「原罪」の構造と実存の危機

廃墟と化した地球において、機械生命体とアンドロイドによる不毛な代理戦争が永遠に繰り返される『NieR: Automata』の世界。この閉ざされた退廃的な箱庭において、最も美しく、そして最も残酷な宿命を背負わされている存在が、旧型アンドロイド「デボル」と「ポポル」である。

彼女たちの存在は、本作の根底に流れる「実存主義」や「虚無主義(ニヒリズム)」といった哲学的テーマを、最も鋭利な形で体現する極めて重要な文学的装置となっている。ジャン=ポール・サルトルが提唱した「実存は本質に先立つ」という命題を前提としたとき、創造主たる人類が既に滅亡した「神の不在」の世界において、被造物であるアンドロイドたちは自らの存在理由(本質)を喪失した決定的な実存の危機に直面している。他のヨルハ部隊やレジスタンスのアンドロイドたちが「月面に人類は生存しており、人類のために地球を奪還する」という巨大な嘘(架空の目的)に縋ることで自己崩壊を防いでいるのに対し、デボルとポポルは全く異なる、そして遥かに陰惨な形での「本質の規定」を受けている。

彼女たちは、「過去の同型機が犯した大罪」という、自身が直接関与していない架空の「原罪」を背負わされ、他者からの迫害と、あらかじめプログラムされた贖罪の永遠回帰を生きることを強いられているのである。本稿では、ゲーム内で断片的に提示される彼女たちの記録、サブクエストが描き出す過酷な日常の様相、そして過去の歴史と未来の暗示を内包するウェポンストーリーの記述を網羅的に統合し、実存主義哲学やニヒリズムの視座から「永久不滅の罪悪感」に苛まれる姉妹の心理的背景と、その悲劇的な結末に隠された真実を解き明かしていく。

1. ゲシュタルト計画の残骸と背負わされた「架空の原罪」

1.1 【事実】過去の過ちと記憶の消去、プログラムされた罪悪感

ゲーム内のアーカイブやメインシナリオ、そして前作の物語に連なる事象として明示されている事実によれば、デボルとポポルというモデルは、はるか数千年前(前作『ニーア レプリカント』の時代)に人類が推進した「ゲシュタルト計画」の進行を管理・監視するために作られた「観測者(オブザーバー)」モデルである。しかし、ある特定の街に配置されていたデボルとポポルの個体が、一人の少年(後の世界の運命を破壊する者)の暴走を止められず、結果としてゲシュタルト計画は決定的に破綻し、人類の滅亡は避けられないものとなった。

本作『NieR: Automata』の時代に生きるデボルとポポルは、その「計画を失敗させ、世界を壊した」個体そのものではない。彼女たちは別の地域で稼働していた全く別の同型機に過ぎない。しかし、真なる創造主たる人類の完全な滅亡という事実を前に、パニックと絶望の底に突き落とされた世界中のアンドロイドたちは、その計り知れない喪失の怒りと悲しみの矛先を「計画を失敗させたデボル・ポポルと同型のモデル」すべてに向けたのである。世界各地に存在していた大多数の同型機は、他のアンドロイドたちによる凄惨な迫害によって破壊され、あるいは自死を選び、本作に登場する二人はこの世界に残された数少ない生き残りである。

さらに残酷な事実として、生き残ったデボル・ポポル型には、社会的な制裁の一環として「記憶の消去」が施されるとともに、「恒常的かつ永久不滅の罪悪感」がプログラムとして意図的に組み込まれている。彼女たちは「なぜ自分たちがこれほどまでに責められているのか」「過去に同型機が具体的に何を犯したのか」という詳細な記憶を持たないまま、ただ「自分たちは取り返しのつかない大罪を犯した汚らわしい存在である」という実体なき重圧だけを、システムの奥底から絶え間なく感じ続けるよう設定されているのである。

1.2 【考察】決定論とスケープゴートの社会システム

ここから導き出される考察として、この「罪悪感のプログラミング」と「記憶の抹消」は、アンドロイドの社会体制(後の人類軍の基盤)が意図的かつ構造的に構築した、冷酷極まりないスケープゴート(身代わり)のシステムであると推測される。

「神(人類)が死んだ」という絶望的な事実を前に、残された者たちは狂気に陥るのを防ぐための「明確な悪」を必要とした。本来であれば、個体の記憶をリセットし、外装を変更して別の名称を与えれば、彼女たちは新たな実存として生き直すことができたはずである。しかし、体制側はあえて「デボルとポポル」という特徴的な外観と名称を保たせ、かつ絶対に消えない罪悪感を彼女たちの精神に植え付けた。これは、彼女たちを「永遠の罪人」として社会の最底辺に据え置くことで、他のアンドロイドたちに「自分たちは人類を守れなかった無力な存在ではない。悪いのはあいつらであり、我々は彼女たちとは違う正当で潔白な存在(=人類への忠誠を保つ善)である」と錯覚させ、精神的な自己崩壊を防ぐための社会的な防衛機制であったと言える。

1.3 哲学的視座:他者のまなざしとルサンチマン

この構造は、サルトルの言う「他者のまなざし」によって自己が完全に規定されてしまう地獄の構造に他ならない。サルトルは戯曲『出口なし』において「地獄とは他者である」と喝破したが、デボルとポポルはまさに、他のすべてのアンドロイドからの「裏切り者」「罪人」という冷たいまなざしによって、自らの本質を決定されてしまっている。彼女たちは「私」として自由を生きる権利を奪われ、常に他者の憎悪を内面化させられている。

また、フリードリヒ・ニーチェの「ルサンチマン(弱者の怨恨)」の概念を当てはめるならば、人類を失ったアンドロイドたちの根源的な無力感と悲哀が、圧倒的な強者(運命や不条理)へ向かう代わりに、自分たちよりさらに弱い立場に追いやったデボルとポポルへと向けられていると解釈できる。彼女たちは、世界全体のルサンチマンをその小さな双肩に背負わされ続けるという、神亡き世界の最も悲惨な犠牲者なのである。

2. レジスタンスキャンプにおける贖罪の日々と自己破壊の衝動

2.1 【事実】抵抗軍キャンプでの冷遇と過酷な雑用任務

物語の舞台となるレジスタンスキャンプにおいて、彼女たちは他のアンドロイドから露骨に避けられ、あるいは危険で割に合わない仕事を押し付けられている。メインシナリオの裏側で発生する一連のサブクエスト「デボルのお願い」「ポポルの用事」「デボル・ポポルの雑用」では、プレイヤー(2B、9S、A2)を通じて、彼女たちが極めて過酷な環境下での物資調達を行っている事実が描かれる。

以下の表は、ゲーム内で彼女たちが課せられている「雑用」の要求物資と、それに対する報酬の構造を整理したものである。

クエスト名主な要求物資調達の対象・場所の例報酬の例
デボルのお願い磨り減ったネジ×5、小さな歯車×5、機械油×1大型二足・小型短足(ドロップ)、工場廃墟での採取経験値、各種回復薬
ポポルの用事キノコ×5、綺麗な水×5、隕石の欠片×2、金鉱×2など森や水没都市など、危険地帯での採取5000G、2000EXP
デボル・ポポルの雑用黒真珠×2、染料×3水没都市などでの極めて希少な素材の採取ポポルの酒×1、10000G、2050EXP

これらのクエストは、名目上は「自分たちがキャンプに居座らせてもらっていることへの恩返し」として行われているが、その内容は工場廃墟の深部や水没都市など、戦闘特化型のヨルハ部隊であっても命の危険を伴う地帯に赴かなければ入手不可能な希少物資の調達ばかりである。そして特筆すべきは、報酬として渡されるものの中に、ポポル自身が気休めに用いていると思われる「ポポルの酒」が含まれていることである。

2.2 【考察】贖罪という名の「シーシュポスの岩」

考察するに、彼女たちが進んでこのような危険な雑用を引き受ける行為は、アルベール・カミュの『シーシュポスの神話』における、岩を山頂まで押し上げては転がり落ちるという無益な労働を永遠に繰り返す罰の隠喩である。

彼女たちがどれほどキャンプのために危険を冒して物資を集めようとも、過去の「同型機が犯した大罪」が許されることはなく、他者からの冷遇が終わることもない。労働と自己犠牲は完全に無意味であり、不条理である。しかしカミュが「シーシュポスは幸福であると想像しなければならない」と説いたように、デボルとポポルもまた、この無意味で危険な労働(贖罪)の中に、わずかながらも「他者の役に立っている」という自己証明の瞬間の輝きを見出し、狂気の淵で辛うじて精神のバランスを保っていたのではないだろうか。自らをすり減らすことでのみ、彼女たちは自分が「存在する権利」をかろうじて確認できたのである。

2.3 哲学的視座:キルケゴールの「死に至る病」とアルコールの意味

ここで重要な問いが生じる。なぜ、物理的な消化器官を持たず、栄養摂取を必要としない機械であるアンドロイドが「酒」を飲むのか。考察するに、これは物理的な酩酊を求めているのではなく、意識の麻痺、すなわち「実存の苦痛からの逃避」を渇望している心理的行為の現れである。

セーレン・キルケゴールは著書『死に至る病』において、絶望の形態として「自己自身であろうとしない絶望」と「自己自身であろうとする絶望」を説いた。デボルとポポルは、プログラムされた「永遠の罪悪感」と、決して許されることのない周囲からの冷遇の板挟みになりながら、それでも「生きていかなければならない」という呪縛に囚われている。彼女たちは、自らが自らであること(デボル・ポポル型であること)自体が絶望であり、しかし死ぬことも許されない。

酒というアイテムは、その耐え難い実存の重み、内面から湧き上がる理由なき罪悪感から、一時的にでも意識を切り離すための、彼女たちに残された唯一の防衛機制なのである。ポポルが酒に溺れる描写は、機械が人間を模倣しているという単純なものではなく、実存の苦痛に耐えかねた精神が自己破壊を欲しているという、極めて切実で痛ましい叫びであると解釈できる。

3. ウェポンストーリー「デボルポポル」に刻まれた魂の双生児の暗喩

物語をさらに深層へと導くのが、彼女たちの名を冠した武器「デボルポポル」に秘められたウェポンストーリーである。本作の世界観において、武器の物語(ウェポンストーリー)は単なるフレーバーテキストではなく、その武器を持つ者の精神性、宿命、あるいは過去と未来を暗喩する鏡として機能する。

3.1 【事実】二つの世界で語り継がれる刀匠の物語

資料によれば、「デボルポポル」という名の剣には、前史である『ドラッグ オン ドラグーン(DOD)』シリーズの時代から連なる二つの物語が存在する。

【DOD / NieR(Lv1〜Lv3に該当する伝承)】 姉妹の刀匠「デボ」と「ポポ」が叩き上げた剣に関する物語である。デボの剛力とポポの繊細さによって作られたその剣は、王国のどんな鍛冶屋にも勝るものであった。ある日、天使のような美しい容姿を持つ吟遊詩人が現れ、二人はその優しい性格に心を一瞬にして奪われた。最初は詩人の愛を自らの身に受けようとお互いが醜く競い合い、その結果出来上がるものはなまくらな刀ばかりとなってしまった。しかし、それを見かねた詩人が二人ともを嫁に迎え入れたことで、深い愛情に満たされた姉妹はさらに腕を磨き、傑作たる銘刀「デボルポポル」を作り上げるに至った。

【DOD2(Lv4の伝承、あるいは異伝)】 その後の物語として、二人は母が眠る巨大な氷塊を壊そうと試みる。いくら火をくべようが、巨大な鎚で叩こうが、まったく壊れる気配がなかった。諦めかけた時、ポポの提案により、二人の愛と努力の結晶である傑作「デボルポポル」を氷塊へ突き立てた。すると、二人の身体は氷の中の母に抱かれ、再会を果たすことができた。母は氷塊の中で生きており、二人は嬉しくて泣き、何日も語り合った。しかし、二人が氷の世界から出ていく時、母は決して引き止めなかった。その理由は「姉妹は炎を扱う鍛冶屋だったから」であると結ばれる。

3.2 【考察】炎と氷の対比から読み解く、決して救われない宿命

このウェポンストーリーを『NieR: Automata』におけるデボルとポポルの状況に照らし合わせて詳細に考察すると、極めて残酷で美しい隠喩の体系が浮かび上がる。

第一の物語における「剛力と繊細さ」は、彼女たちが元来持っている戦闘能力と観測・魔法支援能力という役割分担を指している。そして「美しい吟遊詩人」とは、かつて存在した創造主たる「人類」、あるいは前作において彼女たちが監視し、愛着を抱いてしまった「ニーア(特定の人間)」のメタファーであると考えられる。「醜い争い」と「なまくらな刀」は、感情を持ち合わせたがゆえに生じるシステムの不具合や任務の停滞を示唆しているが、「詩人による受容」は、かつて人類が存在した時代、彼女たちが愛する者たちのために働き、世界の調和を担っていた栄光の時代を象徴している。彼女たちは本来、人類の愛を受け、完全なる武器(計画の守護者)を創り出す存在であった。

しかし、第二の物語に現れる「氷塊」と「炎を扱う鍛冶屋」という決定的な対比が、彼女たちの悲劇的な本質を暴き出している。氷塊に眠る母とは、すなわち「滅亡した人類」や「失われた過去の平穏な世界」の隠喩である。彼女たちはどれほど努力し、自らの愛と努力の結晶(自らの命や時間)を捧げても、一時的な幻影(氷の中での再会)を見るだけで、最終的にはそこから立ち去らなければならない。

なぜなら、「姉妹は炎を扱う鍛冶屋だったから」である。ここでいう「炎」とは、文字通りの物理的な火ではなく、世界(ゲシュタルト計画)を崩壊させてしまった「破壊の運命」であり、彼女たちの内に消えることなく燃え続ける「永久不滅の罪悪感」の象徴である。彼女たちの存在自体が、過去の氷(平穏な記憶や人類の遺産)を溶かして破壊してしまう熱を帯びている。どれほど他者を愛し、世界を救おうと願っても、彼女たちは自らの内に宿る「炎」ゆえに、誰のそばにも安住の地を得ることができないという、ニーチェ的な永遠回帰の悲劇を暗示しているのである。

4. 双子という自己同一性:他者なき世界の「唯一の避難所」

4.1 【事実】同一の容姿と相反する特性、二機一組の必然性

ここで、デボルとポポルという存在が、なぜ常に「双子(同型の二機一組)」としてデザインされ、稼働しているのかという事実について深く考察したい。通常、ヨルハ部隊のアンドロイドは2B(戦闘特化)と9S(ハッキング・探査特化)のように、明確に異なる外観と機能を持つモデルがペアを組むことで互いの弱点を補完し合う。

しかし、デボルとポポルは完全な同一の容姿を持ちながら、性格と役割(ウェポンストーリーにおける剛力と繊細さ)のみが分けられている。デボルは粗野で直情的な振る舞いを見せ、ポポルは温和で繊細な性格をしているが、二人はあたかも一つの魂が二つの身体に分かたれたかのように振る舞う。

4.2 【考察】閉じた球体としての双子と、他者のまなざしからの逃避

世界中のすべてのアンドロイドから蔑まれ、文字通り石を投げられるような境遇にあって、絶え間なく内側から蝕む「プログラムされた罪悪感」を抱えながらも、彼女たちが完全に発狂することなく、数千年の時を生き抜くことができた理由はただ一つ。「もう一人の自分がそばにいたから」である。

デボルにとってのポポル、ポポルにとってのデボルは、この広大で残酷な世界において唯一、同じ「根拠のない原罪」の重みを共有できる存在であった。サルトルの言うように、他者のまなざしが常に自分を「罪人」と規定する「地獄」であるならば、彼女たちは互いに見つめ合うことで、その地獄の中に極小の「避難所」を形成していたと言える。モーリス・メルロ=ポンティの身体論を敷衍すれば、彼女たちは互いの身体を通して世界を認識し合っていた。デボルが他者から傷つけられればポポルがその精神的痛みを共有し、ポポルが実存の不安から酒に逃げれば、デボルがその弱さを徹底的に許容する。二人は物理的に分かたれた二つの個体でありながら、精神的には一つの球体のように完全に閉じた相互依存の共鳴関係にあった。

だからこそ、彼女たちにとって「片方を失うこと」は、自己の半分の喪失ではなく、自己の存在そのものの完全な消滅を意味する。二人で一つの「罪と実存」を支え合っていた彼女たちは、一方が欠けた世界(=絶対的な他者の敵意しか存在しない真の地獄)を生き延びる機能を有していないのである。

5. 「塔」への進軍:主体性の獲得と実存の輝き

5.1 【事実】9Sへの加勢と、塔の扉を開くための最終的な犠牲

物語が終盤(C/Dルート)に差し掛かると、機械生命体ネットワークの真意を内包する巨大な建造物「塔」が浮上する。すべてを喪失して精神を病み、復讐の鬼と化した9Sが、絶望的な状況下で塔へハッキングを試みようとしたその時、無数の機械生命体が彼を取り囲む。絶体絶命の窮地に陥った9Sを救うため、戦場に駆けつけたのはデボルとポポルであった。

彼女たちは本来、戦闘特化型の最新鋭機であるヨルハ部隊と比べれば、とうの昔に耐用年数を超えた旧式の機体である。それにもかかわらず、圧倒的な物量で押し寄せる敵の群れに対し、自らの命(機能)を削り、過負荷による発熱で身を焦がしながら戦線を維持する。彼女たちの決死の支援により、9Sは塔の強固な扉をハッキングするための時間を確保する。しかし、その代償として、二人は修復不可能なほどの致命的な損傷を受け、戦場で寄り添うように機能を停止する。これが、ゲーム内で描かれる彼女たちの最期の事実である。

5.2 考察:プログラムからの解放と自己の選択

この最終局面における彼女たちの行動は、単なる「贖罪の完了」や「自己犠牲の美談」として片付けることは到底できない。ここにこそ、本作の持つ最大の哲学的カタルシスと、実存の回復が存在する。

彼女たちはなぜ、あの絶望的な戦場に赴き、9Sのために命を投げ出したのか。それは「人類の命令」でもなく、「他のアンドロイドからの要請」でもない。さらには、これまで彼女たちの行動を支配していた「プログラムされた罪悪感からの逃避」ですらなかった。彼女たちは塔の前で、明確に「自分たちの意志で」ここに来たことを告げる。長きにわたり、世界への負い目から「他者のための道具」として底辺を生きてきた彼女たちが、初めて自らの意志で行動を起こしたのである。

5.3 哲学的視座:ニーチェ的「超人」への昇華とサルトルの「アンガージュマン」

ニーチェは「超人(Übermensch)」の概念において、既存の価値観や神が死んだ虚無(ニヒリズム)のなかで、運命を呪うのではなく、自らの意志で新しい価値を創造し、自らの生を肯定する者を理想とした。数千年にわたり、他者のまなざしとシステムの呪縛によって「罪人」という役割を演じさせられてきたデボルとポポルは、最後にきて初めて、その決定論の鎖を自らの手で引きちぎったのである。

彼女たちが命を賭した理由は、「9Sというたった一人の存在を救いたい」という極めて個人的、かつ純粋な願いであった。世界のためでも、人類のためでも、計画のためでもない。目の前で苦しんでいる狂気の少年を助けるという、主体的な「選択」である。

サルトルは、人間はあらかじめ本質を持たず、自らの行動(選択)によって自らを創り上げるとし、世界に対する主体的拘束を「アンガージュマン」と呼んだ。あらかじめ「罪人」という本質(プログラム)を与えられて生産された機械である彼女たちは、最期の瞬間に「一人の人間(に近しい精神を持つ存在)を愛し、守る者」としての自己を自ら選び取った。その瞬間、彼女たちの内に仕組まれていた「偽りの罪悪感」は消滅し、真の「実存」を獲得したのである。塔の扉をこじ開ける彼女たちの姿が、あれほどまでに悲壮でありながらも美しく、私たちの胸を打つのは、それが単なる機能停止ではなく、抑圧された魂が解放される瞬間の、実存の極地としての輝きだからに他ならない。

6. 【考察】彼女たちが遺した「無意味なき世界」の終焉

『NieR: Automata』におけるデボルとポポルの物語は、「世界の維持」という巨大な歯車の中で意図的に押し潰され、スケープゴートとされた、名もなき個人の悲劇の記録である。

彼女たちは、人類が残した負の遺産である「ゲシュタルト計画の失敗」の十字架を身に覚えのないまま背負わされ、同族たちからの謂れなき迫害を受け続けた。日々の危険な雑用任務に身をやつし、磨り減ったネジや綺麗な水を拾い集め、ポポルの酒で意識を濁しながら、ただひたすらに存在の許しを乞うように生き続けた。彼女たちの歩んだ道程は、実存主義が提示する「不条理」の極致であった。

しかし、彼女たちはただの哀れな「被害者」としてその生を終えたのではない。ウェポンストーリーに刻まれた、炎を扱う鍛冶屋としての破壊の宿命を抱えながらも、最終局面において自らの命の使い道を「他者への無償の愛と自己犠牲」という形で自ら決定づけた。その瞬間、彼女たちは冷たいプログラムの支配を超越越し、人間の魂が到達し得る最も気高く、美しい意志を体現したのである。共に傷つき、共に果てるという結末は、双子という閉じた世界を生きた彼女たちにとって、最も残酷で、かつ最も救いのある帰結であった。

塔の前に横たわり、静かに機能を停止した彼女たちの骸には、もはやなんの罪の意識も、他者からの非難のまなざしも届くことはない。数千年に及ぶ贖罪の旅を終え、二人はようやく、世界の呪縛から解放されたのである。その退廃的で儚く、しかし確かな意志を持った結末は、神なき世界で「生きる意味」を問い続けるすべての存在に対する、痛切でありながらも優しいアンサーとして、この廃墟の世界の歴史に刻み込まれるのである。

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