Diary.02:ADAMとプラズミド - 倫理なき科学の暴走
序論:海底の暗闇に産み落とされた「奇跡」と「絶望」の二重螺旋
1950年代、冷戦構造下において地上世界が核の脅威とイデオロギーの対立に分断される中、大西洋の海底深くに建造された完全なる自由市場都市「ラプチャー(Rapture)」。アイン・ランドの客観主義(Objectivism)を具現化したこのArt Deco様式の理想郷は、国家の検閲も、宗教的道徳も、弱者救済という「寄生虫(パラサイト)」のイデオロギーも存在しない、純粋なレッセフェール(自由放任主義)の実験場であった 。しかし、この都市がいかにして狂気と血に塗れたディストピアへと転落したのかを紐解くとき、政治的対立や階級闘争以前に、一つの決定的な「生物学的特異点」の存在を避けて通ることはできない。それこそが、本報告書の主題である「ADAM(アダム)」と「プラズミド(Plasmid)」の発見、そして無軌道な商業化である。
本稿では、ラプチャー崩壊の歴史を記述する連作レポートの第2回として、ADAMという物質の生物学的機序から、プラズミドとしての商業的流通、そしてそれが引き起こした肉体的・精神的崩壊のプロセスを徹底的に解き明かす。ゲーム内で明示されている客観的事実と、そこから推測される思想的・心理的な考察を厳密に分離しながら、科学が一切の倫理的タガを外された時に何が起きるのか、その深層を論理的に解明していく。
2. 深海からの啓示:ADAMの発見と「良性の癌」としての生物学的機序
2.1. 海ウミウシとの遭遇と細胞の「復活」
ラプチャーにおける遺伝子工学の狂宴は、暗く冷たいポート・ネプチューンの波止場での偶然の出来事から幕を開けた。ゲーム内で明示されている事実として、第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ強制収容所で自らの科学的才能を見出した過去を持つ遺伝学者、ブリジッド・テネンバウム博士は、ある日、一人の密輸業者と遭遇する 。この男は戦傷によって長年両手が不随となっていたが、波止場での荷下ろし中に深海に生息する未知の海ウミウシ(Sea Slug)に噛まれたことで、翌朝には突如として指の機能を取り戻していたのである 。
この現象を記録したテネンバウムの音声日記「ADAM Discovery(ADAMの発見)」には、海ウミウシから抽出された未知の分泌物質(後にADAMと命名される)の恐るべき効能が事実として語られている 。ADAMは単に損傷した細胞を治癒するだけではない。それは死滅した細胞を「復活(resurrect)」させ、人体の二重らせん構造(DNA)を強引に捻じ曲げ、「黒を白に、背の低い者を高く、弱い者を強く」生まれ変わらせる究極の万能薬であった 。
2.2. 事実と考察:幹細胞の暴走と生命の再定義
ゲーム内の音声記録「ADAM Explained(ADAMの解説)」から確認できる生物学的な事実として、ADAMは体内に取り込まれると、強力な幹細胞(Stem cells)の形成を促進する 。この幹細胞は、自然界には存在し得ない不自然な細胞を含むあらゆる細胞へと分化する能力を持っている 。医療の観点から見れば、ADAMの作用は「良性の癌(benign cancer)」に酷似しており、元から存在する生体組織のネイティブな細胞を破壊し、それらを極めて不安定な幹細胞バージョンへと置き換えていくプロセスである 。
この事実に基づく論理的な考察として、ADAMの発見は当時の科学的・思想的文脈において「神の領域」への侵犯を意味していた。1950年代は現実世界においてDNAの二重らせん構造が発見された時期であり、生命の神秘が科学によって解き明かされようとしていた時代である。地上世界では倫理的・宗教的制約によって禁忌とされた「人体の完全な設計変更(優生思想の極致)」が、道徳を排したラプチャーでは「個人の自己実現」という客観主義の美名のもとに正当化された。細胞を破壊し、不安定な状態で再構築するというADAMの暴力的な性質は、まさにラプチャーという都市が抱えていた「古い道徳を破壊し、不安定な自由市場の力で社会を再構築する」という思想的メタファーそのものであったと言える。
3. 肉体の工業化:倫理なき大量生産システムと宿主の搾取
3.1. 胃粘膜への寄生と反吐の誘発
ADAMの驚異的な可能性が明らかになったものの、初期の段階では決定的な物理的制約が存在していた。明示された事実として、深海で捕獲される海ウミウシ単体が分泌するADAMの量は極めて微量であり、遺伝子改変技術の本格的な商業化には到底及ばなかったのである 。
この供給不足を解消するため、テネンバウムと実業家フランク・フォンテインは、生命倫理の最後の一線を越える。音声日記「Mass Producing ADAM(ADAMの大量生産)」に記録された事実によれば、彼らは「宿主(Host)」となる人間の胃の粘膜に生きた海ウミウシを直接外科的に埋め込む(Augmentation procedure)という寄生プロセスを開発した 。宿主に食事を与えた後、人工的に「反吐(regurgitation)」を誘発して吐き出させることで、単体の海ウミウシから得られる量の実に20倍から30倍にも及ぶ利用可能なADAMを抽出することに成功したのである 。
3.2. 事実と考察:リトルシスターの誕生に見る究極の搾取
この残酷な寄生プロセスの宿主として生態学的に最も適合したのが、幼い少女たちであった 。事実として、フォンテインは「フォンテイン孤児院(Little Sister’s Orphanages)」を隠れ蓑として設立し、身寄りのない少女たちを次々と実験台として提供し、「リトルシスター(Little Sisters)」と呼ばれる生きたADAM精製工場を量産した 。テネンバウムが宿主の不足を危惧した際、フォンテインは「忍耐だ、テネンバウム。もうすぐリトルシスターのための最初の施設がオープンする」と冷徹に言い放っている 。
ここから導き出される考察は、客観主義哲学の負の側面である「他者の手段化」の極致である。アイン・ランドの合理的利己主義においては、自己の幸福の追求が最高の道徳とされるが、それが無制限に許容された結果、防衛力を持たない孤児たちが「利益を生み出すための単なる有機的機械」に貶められた。孤児院という福祉の皮を被った搾取構造は、寄生虫(弱者)を嫌悪したはずのラプチャーの資本家たち自身が、幼い子供の肉体に「寄生」して莫大な富を吸い上げるという凄惨な皮肉を体現している。
3.3. 行動主義心理学による「天使」の刷り込み
さらに需要が拡大すると、転がる死体から残留ADAMを直接回収(リサイクル)する必要が生じた 。ゲーム内の事実として、スーチョン博士(Yi Suchong)は、死体から血を抜き取るという凄惨な作業に対する少女たちの精神的拒絶を防ぐため、極端な行動主義心理学に基づくマインドコントロールを施した 。彼女たちの視覚と認識は完全に書き換えられ、崩壊した廊下は薔薇色の大理石に、死体は優雅に眠る「天使(Angels)」に、巨大な注射器による血の抽出は「天使の救済」へとプログラミングされたのである 。この完璧な精神的隔離(刷り込み)により、彼女たちは無垢な歌を口ずさみながら死体からADAMを啜り続ける「機能的な子供(Functional Children)」へと作り変えられた 。
4. 偽りの進化:プラズミドの商業化と1950年代的ディストピア
4.1. 遺伝子の商品化と「EVE」の聖書的暗喩
生のADAMは極めて不安定な物質であるが、これを精製し、特定の能力を発現するように加工した血清が「プラズミド(Plasmid)」である 。プラズミドを体内に注射することで、対象者の幹細胞は特定の突然変異を引き起こし、指先から電撃を放ち、炎を生み出し、念動力を操るといった「超能力」を獲得する 。
事実として、これらのアクティブなプラズミドを駆動させるためには、「EVE(イヴ)」と呼ばれるADAMを精製した青く発光する副産物(エネルギー源)が不可欠であった 。
この事実に対する思想的考察として、「ADAMとEVE」というネーミングに込められた聖書的暗喩の重要性が挙げられる。旧約聖書において、アダムのあばら骨からイヴが作られたように、ADAMから精製されるEVEの構造は、科学者たちが神の領域である生命創造を模倣していることを明確に示唆している 。さらに、ゲーム内におけるEVEのHUDシンボルマークが「リンゴ(禁断の果実)」であることは、ラプチャーの市民が神を否定し科学という禁断の果実の誘惑に屈した結果、最終的に楽園(ラプチャー)からの追放と破滅を招くという痛烈な寓話となっている 。
4.2. 欺瞞的マーケティングと家庭用品としての超能力
1950年代という時代背景は、戦後の好景気、大量消費社会の到来、そして「科学技術が生活のすべてを魔法のように豊かにする」という無邪気なテクノロジー信仰(Techno-utopianism)が蔓延していた時代である。プラズミドもまた、当初は軍事兵器としてではなく、「日常の利便性を高める画期的な家庭用消費財」として売り出された 。
以下の表は、ゲーム内の広告や状況証拠から確認できる、主要なプラズミドがいかにして日常生活の利便性としてマーケティングされ、実際の恐るべき破壊力を隠蔽されていたかを示す事実とデータの対比である。
| プラズミド名称 | 広告・マーケティングにおける建前(利便性) | 実際の効能・破壊力(兵器化後) |
|---|---|---|
| インシネレート! (Incinerate!) | ライター代わりとなる小さな炎。主婦の調理や暖炉の点火、煙草の火付け用として宣伝。 | 部屋の向こう側の対象を一瞬で全身火ダルマにし、激しい苦痛とともに焼き尽くす。 |
| エレクトロ・ボルト (Electro Bolt) | 停電時のランプの点灯や、小型発電機の再起動、家庭内電力の補助。 | 人体を黒焦げにし、水中の敵集団を一瞬で感電死させる致死的な高圧電流。 |
| ウィンター・ブラスト (Winter Blast) | 飲み物を冷やす、または食品の冷凍保存用。冷蔵庫の代替品。 | 対象を瞬時に絶対零度で凍結させ、物理的な衝撃で肉体を粉々に粉砕させる。 |
| テレキネシス (Telekinesis) | 離れた場所にある日用品(本や鍵など)を、動かずに手元に引き寄せる。 | 重い物体を猛烈な速度で発射し、人体や強固な装甲を破壊する質量兵器。 |
当時の広告は、1950年代特有の無垢で明るいカートゥーン・スタイル(Vault Boyを彷彿とさせるような主婦や労働者のイラスト)で描かれていた 。
ここから考察されるのは、「現実の恐るべき副作用や致死性を、ポップで可愛らしい大衆広告で覆い隠す」という、当時のタバコ広告などに通じる資本主義的欺瞞の究極形である 。消費者たちは20ドル以下の安価な注射器を買う感覚で自らのDNAを不可逆的に書き換え、結果として「精神を病んだ狂人が、指先一つで一般市民を容易に焼き殺せる」環境がラプチャーの至る所で合法的に醸成されていったのである 。
5. 狂気の美学:Dr. J.S. スタインマンと倫理の解体
ADAMがもたらした「制約からの解放」は、単なる物理的暴力の蔓延にとどまらず、美意識や医療倫理の根源的な狂気をも生み出した。その最も顕著な例が、医療施設メディカル・パビリオンを取り仕切る美容外科医、Dr. J.S. スタインマンの末路である。
5.1. 「オモチャの道徳」からの解放
かつては地上の医療倫理に縛られた優秀な外科医であった彼は、ADAMの登場によって劇的なパラダイムシフトを経験した。彼の残した音声記録「ADAM’s Changes(ADAMの変革)」には、地上の倫理を「オモチャの道徳(toy morality)」と嘲笑し、肉体を自在に造形できるADAMの力を神の力と同一視するに至った彼の思想が事実として記録されている 。
「ライアンとADAM、ADAMとライアン…彼らに出会う前の私は、果たして本物の外科医だっただろうか? 我々はメスを握り、オモチャの道徳に縛られていた。(中略)しかし、ADAMは我々にそれを変える手段を与えてくれた。そしてライアンは、我々を縛り付けていた偽りの倫理から解放してくれたのだ。」
5.2. 事実と考察:肉体という「粘土」とキュビスムの惨劇
事実として、ADAMという「絵の具(Paint)」とメスを手に入れたスタインマンにとって、人間の肉体はもはやただの「粘土(clay)」へと変質した 。音声記録「Limits of Imagination(想像力の限界)」や「Symmetry(対称性)」において、彼は自らの美貌を極限まで作り変えた後、「アフロディテ(女神)」の幻覚と昼食を共にするようになり、彼女から「ありふれた美の暴政からの解放」を啓示されたと語っている 。最終的に彼は、生きた患者の顔面をピカソのキュビスム絵画のように解体・再構築し、非対称の肉塊へと切り刻む猟奇的な生体実験へと没頭していく 。
この一連の証拠から考察されるのは、ADAMという限界なき力が、人間の持つ「自己表現(Self-expression)」の欲望をどこまで歪め得るかという哲学的恐怖である。客観主義においては「個人の生産的達成」が最高の美徳とされるが、スタインマンの場合、その達成のキャンバスが「他者の肉体」に向けられた時、医療は拷問へと変貌した。倫理という枷を外された科学技術は、狂気を「新しい美学」として正当化する論理的基盤を与えてしまったのである 。
6. 市場原理主義の罠:ADAMを放置したライアンの哲学
ADAMが引き起こした凄惨な副作用と社会の崩壊を語る上で、ラプチャーの創造主であるアンドリュー・ライアンの市場原理主義(客観主義)を除外することはできない 。
6.1. 「市場は忍耐強い」という狂信
事実として、ADAMの使用が広まるにつれ、その恐るべき副作用(失明、狂気、そして死)が市内で深刻な問題となり、ラプチャー内でもこの危険な「プラズミド・ビジネス」に対する規制を求める声が高まった 。しかし、ライアンは自身の音声記録「The Market is Patient(市場は忍耐強い)」において、規制の導入を断固として拒否している。
「プラズミド・ビジネスを規制しろという凄まじい圧力がかかっている。確かに副作用はある。失明、狂気、死だ。だが、試練に晒されないイデオロギーに何の意味があるのか? 市場は、わずかな不快感に金切り声を上げる赤ん坊ではない。市場は忍耐強いのだ。我々もそうあらねばならない。」
ライアンにとって、ADAMによる健康被害や精神崩壊は「市場の試練」に過ぎず、消費者が自らの合理的利己主義に基づいて選択した結果であった 。彼はまた別の記録「Great Chain Moves Slowly(大いなる連鎖はゆっくりと動く)」において、「無頓着なスプライシングで自らを滅ぼす者」がいることを認めつつも、「法律は制定しない。せっかちな行動こそが、大きな政府という寄生虫(Parasite)を招き入れるのだ」と主張している 。
6.2. 考察:イデオロギーの純潔と遺伝子の軍拡競争
この事実から読み取れるのは、イデオロギーの純潔を守るための極端な代償である。ライアンは、国家や政府の介入による「安全の保証」を、個人の自由を奪う寄生虫の論理として徹底的に拒絶した 。政府の介入も倫理委員会の監査もない完全な自由競争のもと、プラズミド市場はフランク・フォンテインの密輸組織とライアン・インダストリーズとの覇権争いの道具として先鋭化していった。
日常の利便性として始まったプラズミドは、対立勢力を排除するための「兵器」へと急速に変貌を遂げた 。市民たちは自衛のために、そして後には隣人を攻撃するために、より強力なプラズミドを求め、それに伴いADAMの摂取量は加速度的に増加していった。この「遺伝子の軍拡競争(Genetic Arms Race)」こそが、結果としてラプチャー全体を後戻りのできない狂気の深淵へと引きずり込んだ根本原因である 。ライアンのレッセフェールは、市場を成長させる代わりに、市民の遺伝子を崩壊させる最強のアクセルとして機能したのである。
7. 崩壊へのフィードバックループ:ADAM依存症とスプライサー
7.1. 生物学的な破滅のサイクルと禁断症状
ADAMの最大にして最も致命的な問題点は、その強力な「依存性」と、細胞の「不安定性」が引き起こす自己破壊的なフィードバックループにあった 。
ゲーム内でテネンバウムらが残したデータに基づく事実として、ADAMは本来のネイティブな細胞を破壊し、不安定な幹細胞に置き換える。この幹細胞は極めて不安定であるため、その状態を維持し、肉体と精神の形を保つためには、「常に新しいADAMを摂取し続けなければならない」という構造的欠陥を抱えていた 。 一度プラズミドを使用し、体内にADAMを取り込んでしまったが最後、「ADAM Sickness(ADAM病)」と呼ばれる不可逆の依存症へのカウントダウンが始まる 。
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摂取の強制: 不安定な細胞を制御するために、さらなるADAMを摂取する。
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細胞の増殖: 新たなADAMの摂取が、体内の不安定な幹細胞をさらに増殖させる。
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要求量の上昇: 増大した不安定な細胞群を維持するために、前回よりもはるかに多い量のADAMが必要となる。
この爆発的に増大するADAMへの渇望に供給が追いつかなくなった時、凄惨な離脱症状(禁断症状)が発生する 。
7.2. スプライサーへの堕落と肉体的・精神的融解
このADAMの欠乏、あるいは過剰摂取による遺伝子崩壊の末路が、ラプチャーの街を徘徊する狂人たち——「スプライサー(Splicers)」である 。彼らはかつて、ラプチャーの理念に賛同して海底へと移り住んだエリート層、芸術家、優秀な労働者たちであったが、その姿は原型をとどめないほどに破壊されている 。
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肉体的な崩壊(事実): 眼球、鼻腔、口腔からの継続的な出血、皮膚の弛緩(cutis laxa)、腫瘍の発生、水晶の突出。さらに特定属性のプラズミドの過剰摂取による異常変異(例えば、「オールドマン・ウィンター」の過剰摂取によるフロスティ・スプライサーのような、全身からの氷結結晶の突出など)が見られる 。
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精神的な崩壊(事実): 激しいパラノイア、幻覚、重度の不眠、そして記憶障害。「ADAMのせいで眠れない。最近物忘れが激しい」という彼らの呟きが市内各所で確認できる 。
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凶暴化(事実): 最終的に彼らは、僅かなADAMの匂いすら嗅ぎつける「飢えた野獣(vicious animals)」へと成り下がり、ADAMを奪うためならば他者を惨殺することも厭わない存在へと転落した 。
7.3. 考察:自己の喪失と「個」の融解
これらの症状から考察されるのは、単なる薬物依存を超えた「自己同一性の融解」である。アイン・ランド的な客観主義は「確固たる個人の理性」を前提としているが、皮肉にも彼らが進化の手段として選んだADAMは、大脳皮質の機能を物理的に破壊し、理性や記憶を消し去ってしまった。自らの意志で自己をデザインしようとした結果、最も根源的な「私」という存在そのものを遺伝子レベルで失ってしまったのである。
8. 1958年の凍りついた狂宴:仮面(Masquerade Masks)の心理学
8.1. 大晦日の惨劇と仮面の着用
ラプチャーを探索する上で視覚的に最も強烈な事実の一つが、ほとんどのスプライサーが「ウサギ」や「蝶」、「猫」などを模した華やかなヴェネツィアン・マスク(Masquerade masks)を被り、血に染まったイヴニングドレスやタキシードを纏っていることである 。
この異様な光景の背景には、明確な歴史的事実が存在する。1958年12月31日、高級レストラン「カシミヤ(Kashmir Restaurant)」において、ラプチャーの上流階級を集めた壮大な大晦日の仮面舞踏会(New Year’s Eve party)が開催されていた 。しかし、この華やかな宴はアトラス率いる反乱軍による爆弾テロによって引き裂かれ、これを契機として凄惨なラプチャー内戦(Rapture Civil War)が勃発したのである 。
内戦による暴力と恐怖の中、人々は生き残るために競ってADAMを濫用し、肉体の奇形化(腫瘍や皮膚の崩落など)が急激に進行していった 。ゲーム内の台詞として、アトラスはこの状況をこう評している。「なぜ彼らが仮面を被っているのか不思議に思うか? 多分、彼らにはまだほんのわずかな人間性の残滓(shred of humanity)が残っていて、自分たちが成り果てた姿を恥じているからさ」 。
8.2. 考察:肥大化した虚栄心の末路と心理的防壁
この事実に基づく深層心理の考察として、仮面は単なる装飾ではなく、完全に崩壊した自己の尊厳を守るための「最後の心理的防壁」として機能している。かつて地上世界の束縛を嫌い、自らの才覚と美貌を誇って海底へと降り立ったエリートたちは、変わり果てた自らの醜悪な顔を直視すること、そして他者に晒すことに耐えられなかった 。
華やかな仮面舞踏会の夜から時間が凍りついたままの服装で、狂気に支配されて血の海を徘徊する彼らの姿は、1950年代のArt Deco様式が持つ究極の人工美と、ADAMがもたらした醜悪な生物学的崩壊の対比を鮮烈に描き出している 。それは、極限まで肥大化した虚栄心が、自らを縛る道徳を捨てた結果行き着いた、自己欺瞞の最も悲しい末路である。
9. メモリー・トランスファー(記憶の転移):客観主義への究極の皮肉
最後に、ADAMの生物学的な特異性として忘れてはならない決定的な事実がある。それは、「記憶の保持と転移(Memory Retention and Transfer)」という性質である 。
9.1. 遺伝子に刻まれた他者の記憶
記録から判明している事実として、ADAMはただ肉体を作り変えるだけでなく、以前の宿主の細胞構成や、その人間の記憶の一部をコピーし、物質構造の中に物理的に保存する能力を持っている 。この性質により、ADAMがリトルシスターによって死体から抽出され、新たな使用者に注射されると、元の持ち主の「記憶(残留思念)」が新しい宿主の脳内に直接流れ込むという現象が発生する 。 ゲーム内でプレイヤーが度々遭遇する「幽霊のような幻影(ghostly images)」や不可解な記憶のフラッシュバックは、超常的なオカルト現象などではなく、他者の遺伝子(ADAM)を通じて脳内に直接再生された「化学的な記憶情報」に他ならない 。
9.2. 考察:個人の融解と集団意識への堕落
この事実は、ラプチャーの根底にある客観主義哲学に対する、最も残酷な生物学的カウンター(皮肉)として機能している。アイン・ランドの思想における至高の価値は、決して他者と交じり合うことのない「独立した絶対的な個(The Individual)」の確立であった。しかし、彼らが進化の手段として用いたADAMは、何百人もの異なる人間の体内を巡り、抽出され、精製されては再び血管に撃ち込まれる過程で、無数の他者の恐怖、苦痛、欲望の記憶をブレンドし、個人の脳細胞に上書きしていく性質を持っていた。
スプライサーたちのパラノイアや、誰もいない空間に向けて語りかける支離滅裂な独言は、もはや「彼ら自身の純粋な発狂」であると同時に、体内で融解し混ざり合った「無数の他者の記憶の混線」が生み出した精神的崩壊の現れであると言える。
ADAMは個人の「DNA」を自在に書き換える力を与えたが、その代償として、個人という境界線そのものを物理的・精神的に溶かし、ラプチャーの住民たちを一つのおぞましい狂気の海(集団的な遺伝子スープ)へと統合してしまった。絶対的な「個」を礼賛した都市が、皮肉にもすべての人間の意識と肉体が混ざり合う、究極の「反・個人主義的」な生物学的惨劇によって幕を閉じたのである。
結論:神への僭称とその代償
本稿での分析が示す通り、ラプチャーにおける「ADAMとプラズミド」の歴史は、単なるSF的な魔法のアイテムの物語ではない。それは、人間の「際限のない進化への渇望」と、「それを抑制する倫理の不在」が交差した時に生まれる究極の生物学的災害の記録である。
地上世界において、科学は常に道徳や宗教的倫理、あるいは国家の規制という「鎖」に繋がれていた。アンドリュー・ライアンはその鎖を「寄生虫のイデオロギー」として切断し、完全な自由主義社会を海底に構築した。そしてテネンバウムやスタインマンといった科学者たちは、その意図的に作り出された倫理的空白(Ethical Vacuum)の中で、海ウミウシという深海の奇跡を使い、「神の領域(生命の再定義)」へと足を踏み入れた。
しかし、その代償はあまりにも凄惨であった。
自らの手でDNAを再設計し、肉体を「粘土」として自在に捏ね回すことで完全な自由と究極の自己表現を目指したラプチャーのエリートたちは、逆説的に、その自己改変物質(ADAM)の依存症という絶対的な奴隷へと転落した。孤児院の少女たちを非人道的な生体工場(リトルシスター)へと改造し、精神をマインドコントロールしてまで血を搾取した果てにあったのは、超人への進化ではなく、理性を失った怪物(スプライサー)への退化であった。
「市場は忍耐強い」と豪語したライアンの哲学は、人間の「肉体の限界(DNAの脆弱性)」と「際限のない中毒性」という自然の摂理を計算に入れていなかった。ADAMとプラズミドがもたらした倫理なき科学の暴走は、寄生虫(パラサイト)を憎悪して作られた都市が、最終的に自らの細胞(市民)と自らの未来(子供たち)に寄生し、内側から食い殺していく巨大な癌細胞そのものへと変貌する歴史的必然を見事に描き出している。1958年の大晦日に被った仮面の下で、彼らは血の涙を流しながら、今も暗い海底を彷徨い続けているのである。
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